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「会社がやるなと言ってもオレはやる。」~x86版Solarisを救った男~
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サンには、"research.sun.com"というサイトがある。
ここではサンのR&D(研究開発)部門、通称『サン・ラボ』で行われている最新の開発計画や各種の実証実験、現在進行中の開発プロジェクト内容について紹介している。Javaをはじめ、サンの革新的なテクノロジの全ては、このサン・ラボから生み出されており、このサイトを見ればサンのこれからの方向性を知ることができる。そしてプロジェクトに成功したドリーマー達の様々なエピソードが詰まっている。英語が苦手でない方は是非覗いてみてほしい。

今回は、research.sun.comから、x86版Solarisの復活そしてOpenSolaris誕生にいたるまでの秘話をご紹介したい。サンがx86版Solarisの開発を中止するという決断をしたにもかかわらず、現場のエンジニア達はあえて開発を継続した。彼らの地道な努力の結果、x86版Solarisは息を吹き返すことになった。そして、今、OpenSolarisが開花するに至っている。その立役者が、ティム・マーズランドである。会社の方針に逆らってでも己の信念を貫いた彼の勇気がなければOpenSolarisは生まれ得なかったのである。

もし、Solarisオペレーティング・システムについて知りたいことがあったら、全てのSolarisのリリースに携わってきたティム・マーズランドに聞けば何でも答えてくれるだろう。彼は、Sun OSがSolarisになる前にBSDとUNIXのSystem Vを統合するためにサンに入社して以来、コードを書き、バグを修正し、アーキテクチャの方向性を決め、ビジネス戦略にも影響を与え続けてきた、いわばSolarisの育て親なのだ。

サンの最高技術責任者(CIO)、グレッグ・パパドポラスは彼についてこう言及している。

『15年以上もの間、ティムの技術的リーダーシップと革新的な思考は、Solarisオペレーティング・システムの開発と拡張において、非常に重要な役割を果たしてた。彼の仕事はx86市場におけるオペレーティング・システムの将来に多大な影響を与えている。』

つい最近では、ティムは、Solaris 10にとともにSolaris Expressのリリースモデルを設計している。このモデルは、Solarisのゾーンとコンテナにおける初期のデザイン作業に貢献し、Solaris x86プラットフォームの復活に際して重要な役割を果たしている。

ティムは現在、『サン・フェロー』(サンの中で最も位の高い技術者のランク)として、オープンソース化されたSolarisの分野でも支援活動を行っていることで広く知られている。オープンソース戦略における初期段階では、彼のフォーカスがSolaris x86版に移る前に、様々な法的障害を取り除くことに尽力している。
ティムに、Solarisについて聞くと、オープンソースとx86についての話題が返ってくることだろう。そして自分が行ってきた数々の貢献についても控えめに語ってくれるだろう。

「サンは、素晴らしい働き場所だね。私の今があるのは他のみんなのおかげだよ。彼ら一人一人の知識の深さや広さ、そして私がそれをどれだけ頼りにしているかを言葉で語るのは難しいよ。」と謙遜気味に話すティム。
サンの開発者たちが共通して持っているマインドは、人々が使いたいだろうと思うものや、(ちょっとオーバーだが)世界をより良くしていくものを作りたいという欲求なのだ。

ティムの場合、彼が実用主義と理想主義を合わせ持っていたことが、イギリスの名門、ケンブリッジ大学でのリサーチャーのポストを離れる理由になった。
「ぼくは、サンが創り出しているものに非常に感心し、この会社は職場としても面白そうだと考えたんだ。」と彼は振り返る。「開発の現場に関わって、実際どのように物が作られていくのいるかを知りたかったんだ。なぜなら、いつも自分は純粋なリサーチャーであるよりもエンジニアとして自分を見ていたからね。」

Solarisの歴史上の輝かしい点については、たくさんのことをティムは話すことができるだろう。しかし、最も暗い日のことについては??それはもう、"あの話"しかない。それは、2002年の初めに、x86版のSolarisの開発がキャンセルされたことだった。『なぜ、サンはx86版の開発をやめたのか?』と市場から大変なブーイングがあったことは、記憶に新しい。

「あの日は、我々にとって本当に暗くて寂しい日だった。」と彼は当時を振り返る。
「Solarisのエンジニア達は、x86 版SolarisこそがSolarisのボリュームを増やし、普及させる道だということがわかっているのに、x86の世界をすごい勢いで支配していくオープンソース(=Linux)によって、"自分達の昼飯が食われていく"ように思えたんだよ。」

それでも、ティムと彼の同僚の技術者達は、Solaris x86をこのまま死なせるわけにはいかなかった。
「サンのエグゼクティブ連中が、Solaris x86をもうやめると決めた後であったにもかかわらず、エンジニアのコミュニティが継続したんだ。しちゃいけないこととわかっていながら、我々はやってしまったというわけさ。」

「我々の上司達も実は、我々と同じアマノジャクな考え方の持ち主だったんだ。なぜなら、彼らは我々がやりつづけることを黙認してくれていたからね。彼らが知らなかったはずがない。そうやって、サンの現場の人々はこの"裏プロジェクト"を走らせ続けたんだ。これに対する新たな投資の継続はなかったけど、我々はあえて今まで動いていたものを壊さないようにしていたんだ。」

現場のエンジニア達は、SPARC版Solarisを開発しながら、同時にボランティアワークとして個人の時間を犠牲にしてx86版も粛々と開発し続けていたのである。
それも、チームでの作業である。それほど、SolarisチームはSolarisを愛し、Solarisの未来を守るために一致団結していたのだ。

好機を捉えたティムのファインプレーは、形勢を一変させるのに十分なものであった。

「まるで宴会の隠し芸のみたいなことをやっちゃったんだけど、結果的にはそれが非常に効を奏したんだ。我々エンジニアが一丸となってSolarisのリリース9を開発していた時に、そこで最初のサン・ブランドのx86ボックスを出してしまったんだよ。」

当時Sun Fire LX50というシステムがあったが、当初の開発計画では、Linuxでのみ動作し、Solaris対応ではなかった。
「Solaris開発部門は、『Linuxで動かしたきゃそうすればいいけど、だけどなぜSolarisにも対応しないの?』と言い続けたんだ。」とティムは回想する。

そしてティムがいう"隠し芸"が出た。
「ぼくは、OSが立ち上がる様子のログをEmailにくっつけてスコット・マクニーリとジョナサン・シュワルツに送って、『これを見て下さい。我々はこんなことを進めていました。』と言ったんだ。」
LX50上でSolarisを動かしたことは、一見大変なことのように見えるが実際はそうではなく、水面下で粛々と続行しつづけていたことにすぎない、とティムは言う。

以下は編集部の解釈だが、ティムは、おそらく何の説明もなしに、ちゃんとOSがブートしている様子を示すログをいきなりお偉方に送って、どうなるか試したのではないだろうか。ティムが送りつけたOSの起動ログは「ほら、実際にLX50上でSolaris動いているんだけどどうよ?しのごのいわずに、Solarisが動くバージョンも出せよ。」という幹部に対する説得メッセージとなったに違いない。

LX50は当初、Linuxでしか動かないということで、サンの営業部門から不評だった。市場からも、サンはSolarisという良いOSを持っているのにLinux Onlyのマシンを売るなんて節操がない、といった批判の声が聞こえてきた。
かくして、めでたくLX50にSolarisバージョンが追加されたことで、お客さんは購入時にLinuxかSolarisのどちらか好きなOSを選択できるようになり、事実上Solaris x86版が正式な復活を遂げたのである。

ティムはその当時ソフトウエアのトップを引き継いだジョナサンがティムの意志を受けて結果を出してくれたこと(つまり会社として正式にSolaris x86の開発の再開を決定したこと)を褒め称えている。
「こうして、新生Solaris x86が復活したんだ。ジョナサンは非常にシリアスにとらえていくれていたんだよ。Solarisのボリューム化と普及の必要性については、彼は、以前からいた人々よりも、よく理解していたからね。」

オープンソースSolarisへの奮闘は実際には、もっと長いものだった。(それは1998年頃始まっている)なぜなら、反対意見がより強く、数々の障害があったからだ。
ティムは、様々な法的障害からソースコードを解放するための当初の働きについて振り返る。
「そりゃあ、辛い仕事だったさ。絶えず、我々は、会社中のいろんな部門に質問され続けていたしね。『なぜ君はこんなことをしてるんだ?なぜ、会社の最も重要な資産を手放そうとしてるんだ?』とね。」

しかし、ティムの考え方によると、ソフトウエア・ビジネスでは唯一2つのモデルしかうまく機能しないという。
「1つがマイクロソフト・モデル。これはあなたの曲に合わせてみんなが踊ってくれる。なぜならあなたが独占販売してるからね。もう1つがオープンソース・モデル。これは、世界のみんなに助けてもらうやり方。」

「この2つが、我々が数十億・数百億ドル規模のマーケットを目指すことのできる唯一のビジネスモデルなんだ。我々には、もう"ええ、知ってますよ。我々は今までやってきたことをただやり続けるだけです"といった選択肢はないんだよ。」

彼にとって、ソフトウエアとは、ある特定のコード群のことではなく、"その場のスナップショット"と称するものであり、コードを開発する人々を指している。
「本質的な価値は人々の頭の中にあって、我々がそれらの人々と共にいるという事実が、Solarisを我々のものにするということなんだ。特定のライセンスでコードベースを保護するということではないんだよ。明らかに何もしないで静止していれば、だれもがあなたのアイデアを盗むことができるけれど、もしあなたが絶えず走り続けていれば、みんなは追いつこうとして競争しなければならない。そして、我々こそが、我々自身に遅れずについて行けるベストな人間だと思っている。」と彼は力説する。

「こうしたことは、コミュニティを構築する方法でもあるんだ。我々がOSの最も深い側面について、どのように動くのか、どこへ行こうとしているのかといったことについて、開発者達と語る会話が大切。我々は、人々が実際に使うものを作り上げることが好きな技術者集団なんだ。Open Solarisは、まさに天からの贈り物のようだよ。だって、各種の調査その他を通してフィルターをかけられるのとは違って、今、我々が実際に使っている人々と直接話ができるからね。こうしたことはとても有益なんだ。なぜなら、誰だって、声が大きいだけの人達によって影響されたくないだろうし、我々が両方の言い分を聞けるポジションにいるほうがより健全だからね。」

「ちょうど1年後、14,000人のメンバー、29のユーザグループ、27のアクティブなプロジェクト、そして100個以上のコミュニティ・パッチが出来たけど、これらのことがOpenSolarisの成功を物語っているといえるんじゃないかな。」と彼は付け加えた。

さらには、フォーチュン500社のうち、85パーセントの企業が、現在Solaris 10を開発や生産の現場で使用している。

ティムは、前方をじっと見据えながら言った。
「真の挑戦は、イノベーションとスタビリティの共存なんだ。これこそが、"オペレーティング・システムの芸術"なんだよ。」

言い換えれば、どうやって、お客様の多様なニーズを満足させるのかということである。ある人は、たくさんのクールな新しい機能を欲していてそれで遊んでみたいと思っているし、別の人は、最低限の変更のみにとどめてもらい無用な混乱を避けたいと思っている。その両者を同時に満足させることができるOSが誕生したのである。

「我々は、これらの相反する欲求をいままでにないほど共存させることのできる仮想化の技術を持っている。仮想化によって、完全に別のオペレーティング・システムのスタックを並行して走らせることができるようになったんだ。」

仮想化によって、お客さんは、絶対的な信頼を置きつつ、新しいこと実験することができるようになったのである。

旧式な考え方の人の選択方法はこんな感じだろうか。
「このマシンを買いたいとすると、このOSも買わなければいけない。もしこのOSを入手したら、なにもかも管理可能な環境にしたいから、私の残りのマシンも全部アップグレードする必要がある。これは大変なことだよ。だって、既存のアプリケーションを全部再テストしなきゃいけないし、部下も再教育しなきゃいけないし・・。いったいどうすりゃいいんだ? ・・というわけで、私はこのマシンは買わないだろう。」

そして、新しいタイプの選択方法はこうだ。
「このマシンを買って、同じマシンで古いソフトも新しいソフトも動かすことができるよ。もし、新しい世界にすぐさま飛び込んでいきたいなら、やってくれてかまわないし、もし、あなたが、大多数の人には旧来の環境をそのまま使わせ続けながら、一部の人やグループが新しいソフトウエアで遊ぶことを可能にしてやりたいと思ってるなら、それも可能だよ。」

「ハードウエアの仮想化によって、SPARCとx86の両方のマシンでこうしたことを実現することができるようになったんだ。」とティムは言う。
「2006年は、ハードウエアの仮想化の年と呼んでいる。なぜなら、様々な機能がいまや、これらのCPUの中に存在するからだ。そのうち人々は、OSとアプリケーションを1つのコンポーネントスタックとしてとらえるようになり、そのコンポーネントスタックと他のコンポーネントスタックは並行して走らせることができる、と言うようになるよ。全て同じ基盤の上で走らせなければならないのとは対照的だよね。」

スタック同士がどのようにして相互作用を行うか、また、それらがお互いに供給しあうサービスについてが、ティムの新たな興味の中心になっている。
「途方もない数々の機会と同時に、信じられないほどの量の仕事を与えられてしまったよ。」と彼は思っているようだ。
しかし、「きっとそれは彼が望んでいた通りのことなんじゃないの?」と、読者の皆さんは感じるのではないだろうか。

Solarisの立役者、ティム・マーズランドのプロフィール
ティム・マーズランド
肩書き:
サン・フェロー及びシステム・ソフトウエア部門のCTO
学歴:
ケンブリッジ大学電気科学部 博士号
社歴:
1990年サン入社
所有特許数:
10
趣味:
レゴ(レゴはある意味、バイナリーコンパチブルだといえるから!)
子供の時の夢:
科学者になること
最も誇らしかったこと:
Solaris10が、これまで批判的だった業界のサンへの見方を一変させたこと。
信念:
「我々はそこにとどまることはできない。走り続けなければならない。もっと良くし続けなければならない。」
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