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Solarisの歴史の裏にこの男あり もし、Solarisオペレーティング・システムについて知りたいことがあったら、全てのSolarisのリリースに携わってきたティム・マーズランドに聞けば何でも答えてくれるだろう。彼は、Sun OSがSolarisになる前にBSDとUNIXのSystem Vを統合するためにサンに入社して以来、コードを書き、バグを修正し、アーキテクチャの方向性を決め、ビジネス戦略にも影響を与え続けてきた、いわばSolarisの育て親なのだ。 サンの最高技術責任者(CIO)、グレッグ・パパドポラスは彼についてこう言及している。
つい最近では、ティムは、Solaris 10にとともにSolaris Expressのリリースモデルを設計している。このモデルは、Solarisのゾーンとコンテナにおける初期のデザイン作業に貢献し、Solaris x86プラットフォームの復活に際して重要な役割を果たしている。
ティムは現在、『サン・フェロー』(サンの中で最も位の高い技術者のランク)として、オープンソース化されたSolarisの分野でも支援活動を行っていることで広く知られている。オープンソース戦略における初期段階では、彼のフォーカスがSolaris x86版に移る前に、様々な法的障害を取り除くことに尽力している。 「サンは、素晴らしい働き場所だね。私の今があるのは他のみんなのおかげだよ。彼ら一人一人の知識の深さや広さ、そして私がそれをどれだけ頼りにしているかを言葉で語るのは難しいよ。」と謙遜気味に話すティム。 ティムの場合、彼が実用主義と理想主義を合わせ持っていたことが、イギリスの名門、ケンブリッジ大学でのリサーチャーのポストを離れる理由になった。 Solaris史上、最も暗い出来事 Solarisの歴史上の輝かしい点については、たくさんのことをティムは話すことができるだろう。しかし、最も暗い日のことについては??それはもう、"あの話"しかない。それは、2002年の初めに、x86版のSolarisの開発がキャンセルされたことだった。『なぜ、サンはx86版の開発をやめたのか?』と市場から大変なブーイングがあったことは、記憶に新しい。 「あの日は、我々にとって本当に暗くて寂しい日だった。」と彼は当時を振り返る。 それでも、ティムと彼の同僚の技術者達は、Solaris x86をこのまま死なせるわけにはいかなかった。 「我々の上司達も実は、我々と同じアマノジャクな考え方の持ち主だったんだ。なぜなら、彼らは我々がやりつづけることを黙認してくれていたからね。彼らが知らなかったはずがない。そうやって、サンの現場の人々はこの"裏プロジェクト"を走らせ続けたんだ。これに対する新たな投資の継続はなかったけど、我々はあえて今まで動いていたものを壊さないようにしていたんだ。」 現場のエンジニア達は、SPARC版Solarisを開発しながら、同時にボランティアワークとして個人の時間を犠牲にしてx86版も粛々と開発し続けていたのである。 Solaris x86復活の日
趣味はレゴ
(レゴはある意味、バイナリーコンパチブルだといえるから!) 好機を捉えたティムのファインプレーは、形勢を一変させるのに十分なものであった。 「まるで宴会の隠し芸のみたいなことをやっちゃったんだけど、結果的にはそれが非常に効を奏したんだ。我々エンジニアが一丸となってSolarisのリリース9を開発していた時に、そこで最初のサン・ブランドのx86ボックスを出してしまったんだよ。」 当時Sun Fire LX50というシステムがあったが、当初の開発計画では、Linuxでのみ動作し、Solaris対応ではなかった。 そしてティムがいう"隠し芸"が出た。 以下は編集部の解釈だが、ティムは、おそらく何の説明もなしに、ちゃんとOSがブートしている様子を示すログをいきなりお偉方に送って、どうなるか試したのではないだろうか。ティムが送りつけたOSの起動ログは「ほら、実際にLX50上でSolaris動いているんだけどどうよ?しのごのいわずに、Solarisが動くバージョンも出せよ。」という幹部に対する説得メッセージとなったに違いない。 LX50は当初、Linuxでしか動かないということで、サンの営業部門から不評だった。市場からも、サンはSolarisという良いOSを持っているのにLinux Onlyのマシンを売るなんて節操がない、といった批判の声が聞こえてきた。 ティムはその当時ソフトウエアのトップを引き継いだジョナサンがティムの意志を受けて結果を出してくれたこと(つまり会社として正式にSolaris x86の開発の再開を決定したこと)を褒め称えている。 Solarisオープンソース化へのいばらの道 ![]() オープンソースSolarisへの奮闘は実際には、もっと長いものだった。(それは1998年頃始まっている)なぜなら、反対意見がより強く、数々の障害があったからだ。 しかし、ティムの考え方によると、ソフトウエア・ビジネスでは唯一2つのモデルしかうまく機能しないという。 「この2つが、我々が数十億・数百億ドル規模のマーケットを目指すことのできる唯一のビジネスモデルなんだ。我々には、もう"ええ、知ってますよ。我々は今までやってきたことをただやり続けるだけです"といった選択肢はないんだよ。」 彼にとって、ソフトウエアとは、ある特定のコード群のことではなく、"その場のスナップショット"と称するものであり、コードを開発する人々を指している。 「こうしたことは、コミュニティを構築する方法でもあるんだ。我々がOSの最も深い側面について、どのように動くのか、どこへ行こうとしているのかといったことについて、開発者達と語る会話が大切。我々は、人々が実際に使うものを作り上げることが好きな技術者集団なんだ。Open Solarisは、まさに天からの贈り物のようだよ。だって、各種の調査その他を通してフィルターをかけられるのとは違って、今、我々が実際に使っている人々と直接話ができるからね。こうしたことはとても有益なんだ。なぜなら、誰だって、声が大きいだけの人達によって影響されたくないだろうし、我々が両方の言い分を聞けるポジションにいるほうがより健全だからね。」 「ちょうど1年後、14,000人のメンバー、29のユーザグループ、27のアクティブなプロジェクト、そして100個以上のコミュニティ・パッチが出来たけど、これらのことがOpenSolarisの成功を物語っているといえるんじゃないかな。」と彼は付け加えた。 さらには、フォーチュン500社のうち、85パーセントの企業が、現在Solaris 10を開発や生産の現場で使用している。 イノベーションとスタビリティの共存=オペレーティング・システムの芸術 ![]() ティムは、前方をじっと見据えながら言った。 言い換えれば、どうやって、お客様の多様なニーズを満足させるのかということである。ある人は、たくさんのクールな新しい機能を欲していてそれで遊んでみたいと思っているし、別の人は、最低限の変更のみにとどめてもらい無用な混乱を避けたいと思っている。その両者を同時に満足させることができるOSが誕生したのである。 「我々は、これらの相反する欲求をいままでにないほど共存させることのできる仮想化の技術を持っている。仮想化によって、完全に別のオペレーティング・システムのスタックを並行して走らせることができるようになったんだ。」 仮想化によって、お客さんは、絶対的な信頼を置きつつ、新しいこと実験することができるようになったのである。 旧式な考え方の人の選択方法はこんな感じだろうか。 そして、新しいタイプの選択方法はこうだ。 2006年はハードウエアの仮想化の年 「ハードウエアの仮想化によって、SPARCとx86の両方のマシンでこうしたことを実現することができるようになったんだ。」とティムは言う。 スタック同士がどのようにして相互作用を行うか、また、それらがお互いに供給しあうサービスについてが、ティムの新たな興味の中心になっている。
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